さようなら“赤タクシー” 深センタクシーのEV化が加速

“さよなら、古き相棒”

この言葉はある深センのタクシー運転手、劉さんの口から出ることは無かったが、その眼差しからは、まるで長年恋してきた相手と別れの時のようである。

深センで30年近くタクシー運転手として乗ってきた5台目の車になるのがこの“赤タクシー”である。長年使ってきた赤いタクシーは引き取られ、新しく変わるのはEVの青タクシーである。

2018年4月22日、深セン市人民政府が出した《2018年“深セン青タクシー”行動計画》はタクシーのEV化を進める政策である。2018年12月31日にはガソリン車である7500台の赤タクシーがEV車に変えられ、基本的には市内のタクシーEV化はほぼ実現されたことになる。

当時の深セン空港に並ぶ”赤”タクシー

 

これが意味するものは、30年近く深セン人に利用されてきた、毎年平均数千万人が利用してきたと言われる“赤タクシー”が歴史の舞台から降りるということで、深センの街中から“赤タクシー”が1台また1台と減っていることである。

 

深センタクシーの歴史としては、遡ること1976年、改革開放前から始まっている。当時の深センの交通は不便で、香港やマカオから来る人たちは羅湖イミグレーションを超えた後、約3キロほど離れた東門バスターミナルまで行きそこからタクシーに乗って目的地に行っていた。当時このバスターミナルまでの車は無かった。

1976年国家交通部の幹部が羅湖イミグレーションを視察した際に、そこに5台の七人乗りの車を導入することを決めて、この車が東門のバスターミナルまでを往復していた。価格は一人0.2元(現在の価値で約3円)であった。これが深センタクシーの前身と言われている。

 

1979年10月深セン経済特区設立前に、深セン市小型タクシー会社が設立され、正式にタクシーが導入されたが、最初に導入されたのはたった6台である。

深センにタクシーが導入された頃は、現在のシェア自転車と同じく、会社ごとに色で分けられ、色彩豊かなタクシーが走っていた。赤が多かったが、他の数社は白や、銀色、オレンジなどが走っていた。

深セン初期の頃の白いタクシー
深セン初期の頃の白いタクシー

 

 

 

 

1993年6月8日、タクシーを統一した方が便利という点から、深セン市運輸局が環宇ホテルにて《タクシー“五統一”》管理という政策を発表した。これにより、正式にカラフルなタクシーの歴史は終わり、深セン全域を走れる赤タクシーと旧経済特区内のみ走る黄色タクシーの2色に統一された。

この時代以降、赤タクシーという記憶が強くなったのである。

90年台深センの赤いタクシー
経済特区内飲み走る黄色タクシー

 

 

深センに来て10年経っている人でも黄色のタクシーについては知らないはずである。1987年11月最初に導入された86台の黄色タクシーは94年には661台まで増えた。

当時は羅湖区、福田区、南山区、塩田区の4つのみが経済特区で、その外は経済特区外となり通行証が無いと経済特区に入れなかった。黄色のタクシーは経済特区内のみを走るタクシーであったのである。

しかし、経済特区内のタクシーが足りない状況が改善はされたが、その後の経済特区一体化の動きに合わせて、その後は減少し2010年に正式に経済特区が市内全域になったことに合わせて黄色タクシーの使命は終了し、これも歴史の舞台から降りた。2009年のデータによると309台残っていた黄色タクシーは2010年に市内中心地を走る赤タクシーと郊外地域を走る緑タクシーに全て変わった。

当時の経済特区がピンクのエリア
赤タクシーに囲まれている黄色タクシー
深セン黄色タクシー

 

タクシー料金については初期は非常に安く1984年は初乗りが1.4元(約20円)で1994年には12元(約200円)にまで上がった。1994年はまだ深センの平均月収が数百元の時代であった。

 

タクシー運転手の劉さんは笑いながらも次のように語っている。

“当時タクシーを利用していた人は,ほとんどが商売人であった。なにしろタクシー台が高かった。普通のワーカーさんがタクシーに乗った日には家に帰ってから自慢するようなものであった。当時は香港ドルを受け取ることもあったし、私は数回米ドルを受け取ったことがある。”

その時代は利用客のほとんどが香港やマカオ、海外からの人で、よく“お釣りは取っておいて”と言われたという。

 

79年から09年までの平均月収(人民元)
旧特区内を走る”赤”と旧特区外をはしる”緑”

 

郊外エリアを走る緑タクシーは2002年11月に200台導入され運営が始まった。これには郊外エリアに多かった白タクがタクシー業界の経営に影響が出るほど多かった事が始まりと言われている。

緑タクシー郊外エリアのみで市内中心区には入れない。現在でも深セン空港に行くと市内中心区行きと郊外行きと乗り場が別れている。

深セン北駅にあった赤と緑の案内板
深セン北駅にあった赤と緑の案内板

 

 

その赤と緑に変わって出現したのがEV車である“青タクシー”である。2010年試験的に導入してから、徐々に台数が増え、2018年12月25日までに、深セン市内のタクシー21689台のうち19564台がEVタクシーになっている。

青タクシーは経済特区一体化に合わせて導入されており、また環境にも貢献していて“深センの青空”を守ると存在となっている。現在までに約2万台のEVタクシーにより年間二酸化炭素85.6万トンを減らしていると言われている。

 

BYD社の青いEVタクシー
EVタクシーの中に走る”赤”タクシー

ちょっとおまけ話になるが、2013年ごろに深セン市は車椅子や妊婦の人が使えるように電話で呼ぶことのできる特殊なタクシーを100台導入している。イギリスのタクシーを作っている吉利汽車製のtx4というモデルで、深センには似つかわしくない車体であった。筆者も2回ほど乗ったことがあるが、現在は見なくなってしまったのだが、この記事を書き終えた翌日に街中で奇跡的に見かけたので、まだ存在することが確認された。

偶然発見したイギリス式タクシー
扉が90度開くので車椅子をそのまま載せることが可能

 

EVタクシーの導入はこの1年間で一気に加速し、現在は9割が青タクシーとなっている。1年前は感覚的に4割ほどしか走っていなかった。

このような急速な対応も深センらしいと言えるだろう。

現在、また一つ“赤いタクシー”というものが歴史の舞台から降りようとしている。深セン発展はまだ止まる気がしない。

今は見ることのできない”赤”の大群
郊外を走っていた緑タクシー

 

 

佐々木英之
ホワイトホール深セン事務所にて10年間の中国ビジネス経験。
日本に出張すると数日で深センに帰りたくなるという「深セン通」である。

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