深センで起業した日本人【④再び襲いかかる危機】

深セン経済情報2周年特集:『深圳に感謝し、13年を振り返る。』

白井りょう(株式会社ホワイトホール 代表取締役)

2006年に中国の深セン市で起業、貿易とコンサルティングからスタートし、数々の日中スタートアップを立ち上げる。深センのビジネス情報を現地から配信する「深セン経済情報」を運営。視察ツアーや日中間のアクセラレーターなどを行う。
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【エピソード④再び襲いかかる危機】

 

タオバオを使った個人輸入代行サービスが軌道に乗り、黙っていてもどんどん売上が伸びていく中、当時の私は「ビジネスは楽勝だ」と思っていました。今思えば明らかに調子に乗っていたと思います。

調子に乗っていた

未経験のビジネスにもチャレンジしたいと思い、投資意欲に任せて銀行から融資を取り付け、証券会社のときに尊敬していた上司の助言で飲食業に乗り出すことになります。

ずっと中国関係でやってきたので、「スイーツのブランドを立ち上げて中国でブランディングする」というチャレンジを始めました。

 

まず、手始めに東京でフランチャイズに加盟してノウハウを学ぼうと思い、できるだけ加盟金の安いブランド(ジェラートショップ)で出店することに決めました。

なぜ、スィーツを始めたかというと、証券会社時代の上司に「今後ますますストレス時代になるので、働く人に癒しを与えるスィーツの店がヒットする」と言われ、更には「東京だったら池袋あたりが狙い目だな」と助言をもらったので、言われるがままにどんどん話を進めてしまったのです。
その上司は驚くほど頭が良く、当時社会人になりたての私は完全に彼を神仏化していたと言えます。

 

持ち前のスピードでジェラートブランド本社と交渉し、池袋駅の物件を押さえました。
そして、友達を説得し店長になってもらう約束をし、アルバイトもかき集め、店舗の内装や機材なども猛スピードで整えました。
店舗の開店準備は順調に進み、店長の研修も終えて無事にオープン。新しく立ち上がった自分の店を見て、お客さんが入ってくる喜びも感じていました。
この店舗が立ち上がったことで満足し、私は中国に戻りました。

ジェラートショップ

2010年後半のことでした。
ここから、ジェットコースターの急下降が始まります。
中国では軌道に乗っていた個人輸入代行サービスに陰りが見え始めていました。
日本で転売ヤーと呼ばれるプレイヤーたちが、こぞってサービスを利用してくれていましたが、有名になりビジネスモデルが知れ渡ったことで同業他社が一気に増えていたのです。

そして、サービス内容を真似され、手数料の安い業者が増えたことで、競争が生まれ顧客が奪われていくという現象を目の当たりにしました。
これは市場原理なので仕方ないことではありましたが、日本で店づくりをしていた私と、現場で作業に当たっていたスタッフたちは、大きな流れを掴むことができず、時すでに遅しという状況だったのです。

「スペースを作る」
この言葉の大事さは後になってわかりました。

常に時間を作る努力をし、時勢を読むためのスペースを用意しておくということです。
私は急いで手数料無料モデルに切り替えようと大胆な手を打とうとしましたが、現場からは「今までうまくいっているのに手数料無料はやめた方が良い」と反対され、現場にいなかった私の説得は意味がありませんでした。

ビジネスの世界は悲惨なものです。
競争原理で同業他社にシェアを奪われていき、その中で円安も進み、業界自体が不利になっていきました。
そこに追い打ちをかけるように、尖閣諸島の問題が勃発しました。
お客さんの貨物が通関で紛失するという事件が何度か発生し、損失を負担することになり致命的な打撃を受けたのです。
世論とは無情なもので、中国ビジネスに対する風当たりが激しく、日本企業は軒並み中国市場から撤退し、並行して行なっていた中国進出のコンサルティングサービスも顧客ゼロ状態になりました。
同時、私は周りから「怪しいコンサルティング会社」とからかわれることもありました。

 

そのとき、日本でスタートしたばかりのジェラートカフェでも問題が起きていました。
店長とアルバイトの関係がうまくいかず、スタッフが激減し、疲れ果てた顔の男性(店長)が運営するショップにはお客さんも寄り付かなくなっていました。
フランチャイズ本部からは、投資の5%ほどが営業利益として積み上がっていくと言われ、その言葉を信じていましたが、とうとう一度も黒字化することはなく、営業すればするほど赤字になっていくという地獄のスパイラルにはまり込んでいました。

 

私は経験に学ぶ愚者のタイプだったと思います。
人の言うことを鵜呑みにし、店舗を素人店長に任せっきりにしたこと。
順調なときに調子に乗って軽率に異業種に乗り出し、本業を疎かにしたこと。

この頃、自分の子供が病気になったり、離婚を経験したり、株式投資をしていた会社が倒産したり、ストレスで逆流性食道炎になるなど、想像を絶する不幸が次々と降り注ぎました。
絶望の中、フラフラと街を歩いていると、雑踏の中で視界に映る景色がスローモーションになり、音も聞こえなくなったのを覚えています。

 

「何のために頑張ってきたのだろう…」

 

全てに対してヤル気をなくし、心が音を立てて折れていくような気分。
好調だったときとは一変し、借金も膨らんでしまったので、もう会社を倒産させて自己破産をしようと普通に考えるようになりました。

全ては私のエゴが生んだ結果でした。

 

 

【エピソード⑤不死鳥の如く立ち上がる】

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